東アフリカの内陸に位置するブルンジは四国の1.5倍の国土(27,830km2)に約1,150万人(WB [2019])がひしめき、日本よりも少し高い人口密度(約413人/km2)を有する国です。
この狭い国土と多くの人々で協調を図る必要性からか、個人的に日本人との親和性を感じた国でした。ここで、我々はJICA「ブルンジ国ギテガ県における紛争影響地域の生活向上を目的としたコミュニティ開発プロジェクト」(調査:2012年2月~2014年3月、モニタリング:2014年4月~2015年2月)を実施しました。
プロジェクトの中で最も印象的であったのは、現地スタッフとして貢献してくれた、ブルンジの地方都市ギテガ県(当時。現在は政治首都)の若者とベテランの方々でした。
先輩コンサルタントの「カウンターパートへの技術移転と合わせて、現地で雇用する人たちへの技術移転はとても大事なんだよ。このプロジェクトが終わった後、ここで地域開発を担う人たちなのだから。」という言葉により、調査期間の約2年間で20人以上の常駐スタッフを雇用しました。
たくさんの現地スタッフの中から、生計向上分野においてリーダーを務めてくれたプロビデンス ンニラバンパを紹介します。ンニラバンパとは現地語のキルンジ語で「誰にも愛されない子」という何とも悲しい意味です。名づけた名前以上に悪いことが起きないようにお守りのような意味合いがあるのかもしれません。
プロビデンスは狩猟採集をしていたマイノリティーの男性で、ギテガ県の当該グループの協会より紹介を受けて採用しました。頭の回転が速く、各村で実施した生計向上事業でしばしば発生したトラブル(例えば受益グループのリーダーの横領等)に迅速に対応し、受益グループに対し新たなリーダーを選出する会議の開催をサポートする等の作業を即日完了させる仕事ぶりでした。生い立ちを聞くと、生家より警察高官の家に養子に迎えられ、高等教育を受けたことがあるとのことでした。
2015年4月25日、ブルンジのンクルンジザ大統領は三期目の出馬表明をしました。これに対する抗議活動、クーデター未遂事件が起こり、治安は悪化、政権による暴力やそれへの応酬、そして再燃を恐れた人々が隣国のタンザニアやルワンダ、コンゴ民に逃れました。プロビデンスの養父もナイトバーで謎の死を遂げました。
同年8月大統領は三期目の当選を果たし、現地情勢は少しずつ改善され、人道援助やビジネスなどの活動が、一部地域を除いて再開できるようになりました。そうした中、2020年6月8日、15年間に渡り権力の座にあったンクルンジザ大統領が心不全で急死しました。今年5月20日に大統領選挙が実施され、腹心の後継者が次期大統領に選出された直後でした。
10年以上に渡る紛争、2015年の政治危機、極度の貧困と慢性的な飢餓、今年の選挙と大統領の急死という、苦難に満ちたブルンジにおいて、プロビデンスはプロジェクトが終了した現在、ギテガ県のメディア・広告クリエーターとして、ラジオ・テレビ番組制作を通じた社会サービスを受けるのに必要な知識の普及・啓発、人々の情報アクセス支援に従事しています。
歌が好きで、毎週日曜日の教会でパイプオルガンを披露していたプロビデンス。陽気な歌声と明るいメディア番組で人々が苦難を乗り越えるよう、彼は日々模索しているのかと想像します。
NTCインターナショナル株式会社 糀谷薫
Burundi Japan Friendship代表 ドゥサベ友香
▼パイロット事業で建設中の木工所で作業するプロビデンス
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