人道支援や平和構築の業務についている私たちですが、日本の事例をあまり知らないことがあると思います。
私自身、日本の詳しい戦争記録などは不勉強です。
今回は日本における戦争被害記録に関して、私が住んでいる東京都東大和市にある
旧日立航空機株式会社変電所(以下「変電所」)について
東大和市立郷土博物館(旧日立航空機株式会社変電所)の楢崎茂彌さんの
日本とアメリカ双方の戦争記録の精緻な調査について3回に分けてご紹介します。
今回はこの変電所の概要についてです。
写真:爆撃と機銃の跡が残る旧日立航空機株式会社変電所
1938年(昭和13年)、北多摩郡大和村(現在の東大和市)に陸軍機用のエンジン製造の工場が建設され、
1939年(昭和14年)、合併により日立航空機株式会社の立川工場となり、
工場北西部にある変電所は、高圧電線で送られてきた電気の電圧を下げるための施設として1993年(平成5年)まで稼働していました。
現在は水曜日と日曜日が公開日となっており、ガイドの方による展示解説が行われています。
建物1階は資料が展示され、建物2階では当時の変電施設を見学できます。
1944年(昭和19年)年、この工場は従業員数13,000人を数えるほどの大規模な工場でした。
太平洋戦争末期には、軍需工場が集中していた多摩地域は数多くの空襲を受け、この工場は1945年(昭和20年)の2月~4月にかけ3回の爆撃と機銃射撃を受け、工場関係者、地域住民111名が犠牲となり、工場の8割が損壊を受けました。
では、このような当時の記録はどのように現存しているのでしょうか。
次回は記録の詳細についてお伝えします。
引用サイト
東大和市:戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006102.html
NHK
東京 東大和 旧軍需工場変電所~“戦争の狂気”と平和の尊さ訴える男性の思い
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20221019a.html
田島賢侍
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